月照無眠

但实际是做些什么,到现在还是不懂……。

日記


夏の日は部屋で暑さにたえるのも寒さにたえるのもいやなので、風通しのいい屋外に出かける。というのがここ数年の方針で、6月から9月の土日の昼間は極力都心に用事を作らないようにしていた。海や山に用事らしい用事があろうはずもないので、夏の土日は空けておいてその日の朝の気分であちこち出かける。でも今年は行きたい場所をリストアップし、あたかも用事でもあるかのように綿密なプランを立ててみた。これが大失敗で、数日前の自分が漠然と立てた行動指示すら窮屈に感じかえって出不精になってしまった。人との約束などがなくても、出かけるとなると身支度をして電車の時間を見てどうのこうので時間に追われる感覚があり、はやくでかけないとわざわざ遠出しても3時間もいられないよとはじめちゃんがうるさい。あわてた風に準備しながらふと予定をキャンセルすると、もう13時だったものがまだ13時に感じられて安心する。この安心感を繰り返し味わったけど、それはその瞬間だけきもちいくらいのもので、思い返せば不快。急ぎたくないという理由で急がないでおり、結局都心に出て退屈に過ごすことが多く、なんとなく悔いが残ってる。


その点今日はサンダーストームだったので予定キャンセルは必然だった。房総半島の海に行くプランだったけど、この雨で海はつまらなそうだしと窓の外を見てるうちに眠りに落ちたらしく、気がついたら3時間経っており外は晴天だった。こんなに晴れるならなんでもできた。


多摩川を臨む部屋に親戚が住んでおり、そこの広いバルコニーでバーベキュをしながら多摩川の花火大会を見るのがここ数年の(一族の)恒例行事となっていて、去年はなかったけど今年は開催されるとのことで数日前おばからメールがあってたのしみにしていた。しかし実は花火はあまりよく見えない。建物と川の間に東急電鉄の創業者の名前のついた美術館と庭園があり、そのうっそうとした緑が花火の半分ほどをさえぎる。ほんの数年前までは私の中の子どもっぽい要素がつよく、すべてを見逃すまいと舞台でも見るみたいに食い入るように花火を見ていて、ごちそうや親戚の会話はノイズだったし、全部見られないというのはこの恒例行事の重大な欠点だと感じていた。けど最近はこの恒例行事は桜を口実に集っていたかつての恒例行事*1の代わりであり、花火はやはり花なのだということがわかってきた。


幸田が車で合流を試みたが、今年の警備はいつも以上に大規模で環状八号線から多摩川の土手方面に下る路地はいくつも封鎖されており、面倒になって帰ってしまうという最悪の結末に。


20時に花火が終わり、風がすこし肌寒いくらいだったので室内に入り、「世界ふしぎ発見!」を見ながら果物を食べた。コモド島の伝説によれば、あるとき生まれた双子は片方が人間の男の子で片方がコモドオオトカゲの女の子であり、女の子は森へ消えた。しかし兄弟を慕い、しばしば人里近くに姿を現すのだという。というわけでクエスチョンの答えは「兄弟」でした。

*1:私の(両親の)家には大きなソメイヨシノの木があり、両親の仕事が自営業の関係もあり、親戚やらご近所さんやらよく知らないおじさんたちやらが集い毎年複数回の花見が自宅で行われていた。なんやかんやあってお家は競売に出され桜の木も切られて今はない。